かんとこうブログ
2023.06.12
関塗工は先週58歳になりました
先週の水曜日6月7日で、関塗工は創立58年となりました。1965年(昭和40年)の6月7日に設立登記されましたので、今年で58年歳というわけです。2年後には60周年となります。人間で言えば60歳となり還暦を迎えることになります。これまで10周年毎に記念式典と記念史を発行してきましたので、2年後にも同様な周年行事が行われるものと思いますが、今日は関塗工が設立された昭和40年当時の業界の状況と設立の経緯について簡単にご紹介したいと思います。
そもそも関塗工の正式名称は、関東塗料工業組合であり、全国団体である(一社)日本塗料工業会や同じく中小の塗料製造業者の団体である大阪塗料工業協同組合(大塗協)とは、法律上の立場も扱いも異なっています。
関塗工は「中小企業団体の組織に関する法律」に基づく商工組合です。大塗協との違い、すなわち協同組合との違いは、一言で言えば営利事業を行うことができるかどうかということです。商工組合の場合には、組合が本業に関係しない営利事業を営むことはできません。わかりやすい例を示せば、組合が塗料に全然関係のない物品を一般の人を対象にして販売することができないということです。現在各種保険の集金代行や物資の斡旋を行ってはいますが、それは組合員(加盟各企業)の福利厚生事業の一部を代行しているということなのです。塗料製造に関わることであれば、物資を共同で購入したり販売したりすることができます。設立当初は、酸化チタンや酸化鉄といった顔料の共同購入も行っていたようです。
設立の経緯も今からは考えられないような経緯で設立されています。このあたりは、関塗工の初代理事長で、当時太洋塗料の社長であった松本十九氏の自伝「この道ひとすじ」に詳しく書かれています。そこには明治維新前夜の幕末を想起させるような緊迫した当時の様相が描かれています。
なぜ当時がそのような緊迫した時代であったのでしょうか?昭和40年という年は高度成長期に移行する直前であり、昭和39年の初回の東京オリンピックが終わり著しい景気の停滞が生じ、塗料業界は厳しい過当競争が繰り返されていました。中小の塗料メーカーの経営状態は大変苦しい状況でした。「この道ひとすじ」には、このままでは経営が行き詰まると多くの経営者が危機感を抱き、苦しめられていた大手メーカーの廉売に対抗するためには団結して力を持つしかないと悲痛な決意のもと、次々と志を同じくするものが結集し組合が結成されていく様子が記されています。設立には現在を上回る塗料メーカー58社が名前を連ねました。組合結成がいかに多くの中小塗料製造業経営者の賛同を受け、期待を担っていたかがわかります。
今では信じられないことですが、関塗工の設立は大手メーカーに対抗するためだったのです。組合結成後もしばらくの間は、大手メーカー経営層との懇談会を定期的に催し、業界の健全なる発展のためにどうすればよいかを話し合ったとされています。よく「関塗工は日塗工の下部組織ですか?」と聞かれますが、この経緯から見ると全くそうではないことがお分かりいただけると思います。
現在関塗工は58歳。人間が年を経るにつれ成長し、成熟していくように、現在の組合活動は設立当初の緊迫感からは無縁の穏やかなものに変わっています。とは言え、「一種の保険のようなもの」や「なんとなく皆が入っているから」というだけでは少し寂しい気がします。2年後の60周年に向け、「少しでも役にたつと実感できる組合」「入っていてよかったと言ってもらえる組合」になっていければよいなと思っています。